KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

独立行政法人化への私の立場

 国立大学の独立行政法人化(独法化)へのプランは着々と進んでいるようだ。もちろん大部分の教員はそれに反対している。しかし、賛成している教員が多くを占める学部もあったりして、足並みはそろっていない。

 マスタープランによれば、2000年12月に臨時国会で個別法が成立。2001年4月に省庁再編。2002年には学部で中期目標が立てられる。2003年に独法化開始となる。独法化に向けて、個性のある地域に密着した大学への変化を模索している。生き延びのためだ。しかし、そんなに簡単に変われはしないだろう。

 私自身の独法化に対する立場は複雑だ。一方で「こうでもしなきゃ変わらんだろうな」という気持ちがある。既得権益を守ることにのみ生きがいを見いだしている人がいる。学部の中でなわばり争いをしている場合じゃないだろうに。学部がつぶれることなど夢にも考えない想像力の欠けた人がいる。そうした人がそこにいるのは何かの間違いなのだ。それを排除するためには独法化は(劇)薬になるかもしれない、と。

 もう一方で、学部で中期目標を立てたり、外からの予算獲得を今まで以上にしなければならないことにより、研究がより政治的になることを恐れる。「研究が政治的になる」というのは、「真実の徒」であった人が、予算獲得のために、いたしかたなく世間的に通りやすいこの線で行こうという行動を余儀なくされるということだ。研究者集団がブームを作り、それに乗っかっていくということはよくある。しかし、歴史を振り返ればそれは単なるブームであって、真実とはかけ離れたところで騒いでいただけだということがよくある。何よりもまずいのは、そのブームに外れた研究を相対的に矮小化するという副作用だ。

 まあ、どうあっても真実の徒はそれに命を捧げるので大丈夫なのかもしれない。しかし、どれが真剣で、どれがフェイクかということを見分ける眼力が重要になってくるだろう。