KogoLab Research & Review

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ジェーン・ハーリー『コンピュータが子どもの心を変える』

コンピュータが子どもの心を変える

コンピュータが子どもの心を変える

 ジェーン・ハーリー「コンピュータが子どもの心を変える」(大修館書店、1999)を読んだ。ハーリーは「滅びゆく思考力」と「よみがえれ思考力」(ともに大修館書店)でテレビ文化が思考力に悪影響を与えていると注意を促した。この本では、コンピュータとネットワークが教育現場に次々と導入されている現状に対して、適切な指導や監督のできる教師がいなければそれは効果がないどころか、コンピュータ以外の、発達に必須である活動時間を奪うという意味において、とりわけ幼児教育と初等教育に深刻な悪影響を及ぼすと警告する。アメリカ各地を回ってコンピュータが使われている教育現場を観察してきた著者の考察には説得力がある。教育におけるコンピュータの悪い/無意味な使い方だけではなく、どういう特定の状況であればコンピュータは有効に利用できるかということも公平に書いている(たとえば自閉症児や学習障害児への適用)。

コンピュータさえあれば、子どもたちは頭がよくなって教育問題は解決するという業者の宣伝文句を、私たちはなぜこうも簡単に信じこんでしまうのだろうか。それは、私たちがハイテクに任せれば何でもすぐに解決するというばかげた妄想にとりつかれているためである。

教育心理学者でなくても、コンピュータ・ソフトの価値を正しく評価するのは簡単である。色鮮やかな映像は無視し、真の精神的刺激がどれくらいあるかを考えればよいのだ。それによって発達するのはプログラマーの脳だろうか、それとも子どもの脳だろうか。

子どもにコンピュータをやらせてよい年齢というのはあるのだろうか。何歳の時に始めると最も効果的なのか。ガードナーは次のように断言する。「九歳か十歳までコンピュータを見たこともないとしても、子どもが不利益をこうむることはまったくない。それなのに、子どもが落ちこぼれてはいけないと今の親は神経過敏になっている」

「感覚を拡大する道具」はすべて「テクノロジー」であると広く考えるなら、虫めがね、虫かご、糸電話、コンパス、温度計、図画工作材料、定規、録音テープもすべてテクノロジーとなり、コンピュータは早期教育で用いられる多くの選択肢の一つにすぎなくなる。

わざわざお金をかけて新しいコンピュータを入れなくても、教師の態度と指導法が変わっただけでも同じような結果が出たことだろう。

 著者はゲーム仕立てのドリルなどの早期教育ソフトに対して批判的だが、ロゴに対しては唯一好意的に見ている。一般に子どもはコンピュータを万能の権威と見たり、人間化して考えたりしがちである。しかし、ロゴなどの簡単なプログラミング言語を習った子どもはコンピュータの限界を理解し、コンピュータを神秘化したりしない。とはいえ、ロゴを使った学習成果についての研究の多くは否定的なものの方が多い。それはロゴの背景理論が「知識を構築する」というものであり、伝統的な教育理論とは一線を画しているということによるのかもしれない。

 ネットワーク/インターネットについては、他の多くの本同様、この本もそれに依存的になることを警告している。「世界中の人たちとオンラインで交流ができる。ただし一人の部屋で」という姿だ。しかし、サイバースペースに対する私の考え方は、この本で紹介されているミンスキーの考えに近い。しかし自分の子どもについては、そのサイバースペースへの接触に慎重になるのは当然のことだ。その前に体験しておくことはたくさんあるからだ。

「仮想現実の悪いところなど私には一つも見つかりません。なぜなら現実世界はそれほどよくないからです。ものは壊れるし、事故もあります」(…)「人はこのような未来は恐ろしいと考えます。しかし、新しいものはみな恐ろしいものです。私はこわい思いをするのが大好きです」