KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

遅刻に甘い

 大教室の授業ならいざ知らず、高々10人前後しかいないゼミに遅刻してくるのは、かなり勇気のいることだと思うのだけど、実際はどうなのだろう。というようなことをゼミ中に話したら、「先生(私)は何分か必ず遅刻するので、それを見習ってゼミ生も遅刻するのだ」と逆襲された。

 私が遅刻するのは確かだ。自分の研究室で授業開始のチャイムを聞いてから研究室を出るようにしている。研究室は4階にあるので、そこから教室に歩いて行くだけの時間は最低限遅刻することになる。

 大学教員向けの本を読むと、教室に行くまでにかかる時間を勘案して、早めに自分の部屋を出るようにすべしと書いてある。チャイムと同時に教室のドアを開けるようにするのだ。そうすれば、学生に「この先生は時間に厳格だな」ということを印象づけることができ、授業開始がスムーズにいくことだろう、と。

 しかし、「チャイムと同時に教室のドアを開ける」というのがなんとなくイヤミたらしいような気がして、そうすることにあまり気が進まない。わやわやっと始まって、わやわやっと終わるのが好きなせいだろう。雑談から始まって、徐々に本題に入っていくようなスタイルが好きだ(そうできているかは別として)。

 最初の話に戻れば、「先生が遅刻するから学生も遅刻するのだ」と言われたのに対して、私はこのように屁理屈をこねた。「私自身がすでに遅刻しているのだから、それよりもさらに遅刻するのはまずいんじゃないか。私は皆さんが少しくらい遅刻しても罪悪感を抱かないように、遅らせて来ているのだよ」と。それを聞いた学生たちは、誰一人として納得した表情を見せなかった。

 要するに、私は遅刻に甘い。それは自分が遅刻するからだ。そのかわり、締切には妙に厳格で、締切を過ぎた提出物などは、ばさばさと減点をする。それは自分が締切を守る人間だからだろう(少なくとも守る努力はする)。なんのことはない、自分の生活スタイルを他人に押しつけているだけの話である。