KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

企業内教育とWebベース教育(教育工学連合大会@鳴門)

教育工学の連合大会でいくつか印象に残ったことを書き留めておく。

たまたま企業内教育の発表セッションを聞いていた。コンピュータとネットワークを利用した企業内教育というと、そこは「餅は餅屋」。教育システムとしては大学を含めた学校のものよりも洗練されている。しかし、いざその教材の内容を見せてもらうと、びっくりする。多肢選択問題形式のドリルで、問題に不正解であれば、解説ページに飛ぶという古典的なもの。その効果が検証されているからこそ古典になるとはいえ…。

「私だったら、こういう教材は飽きてしまうし、面白くないと思うでしょう。はっきりいえば、あまりやりたくない類のものなんだけれども、企業の中ではそういう不満はないのでしょうか」と質問してみる。回答は、「教育を受ける社員は、部長のハンコをもらって、十分期待され励まされているので、動機づけは十分です。それにもし、その教育での成績が悪ければボーナス査定に大きく響くのでみんな懸命にやるのです」と。なるほどね。ドロップアウトをそちらで押さえているわけだ。

とすれば、教材を問題解決型にするとか、ストーリーをいれるとか、これをやるとどうなるのかという軌跡を見えやすくするとか、いろんな工夫で今よりももっと面白くすればさらに効果は上がるはずだな。ここが私のつっこみどころである。まあそういう工夫には人的、時間的コストがめちゃくちゃかかるので(たとえばジャスパー教材にはどれくらいの資源が投入されているのだろう)たえずバランスの問題にはなる。つまり、最小限のコストで教材の魅力を最大限上げるにはどういう方略を採ればいいのかという問題設定になる。これが研究の基礎。

もっと大きな話に持っていってしまえば、教材シナリオ作成の理論なり、洗練された経験則なりが必要になっている。たとえていえば、ハリウッド映画のストーリーアナリストに対応するような役目の人間が必要になっているということなのではないか。教育に携わる人々のスペクトルを見渡してみると、そこだけが完全に欠落している。その代わりに、NHKの教育番組のディレクターといった人たちがそうした役割をとりあえずしているのかもしれない。

シンポジウムでは、校内の別教室にもATMで映像が配信された。私はずっとこちらの方で聞いていた。

その利点の第1は、気楽に自由に聞けることだ。弁当を食べながらでも、お茶をすすりながらでもOK。ちょうどテレビを見ているような感じ。

第2は、割と気兼ねなく周りの人とおしゃべりできること。もちろん大声を出したら迷惑になるけれども、本会場では小声でもおしゃべりはできない。別会場ならば、「何か変だよね」とか「何を言ってるんだか」などと論評しながら聞くことができる。うけたところには割と大声で笑っても大丈夫(それを観察されるリスクはあるけれど)。

最大の欠点は質問ができないことだが、これは実は可能だった。ちゃんとマイクと映像回線が用意されていたのだ。たまたま別会場から質問がなかったに過ぎない。想像してみると、本会場よりも別会場の方が質問しやすかったのではないかと思う。それは、別会場の方が雰囲気に飲み込まれることなく、話を比較的客観的に聞くことができたような気がするからだ。

以前のbit誌に「発表を聞きながらチャットで意見を交換する」という実践レポートがあった。これを応用して、質問をチャット機能で提出できるようにするといいと思う。しかもリアルタイムで発表者の画面の下部分に提示されるようにするともっと面白い。鋭いつっこみが入れば、聴衆は「ここはもっともらしく聞こえるが、実は単なるアジテーションだな」などと解釈しながら聞いていくことができる。メディアリテラシーの格好の実践ではないか。

そんなことを夢想していた。だれか実験しませんか。