KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

つくづく自分が安い人間だと思う

昔、行ってみて印象が良かったからと、そのイメージを持ったまま食べ物屋に行くのは賭けだ。

テレビ番組の「愛の貧乏脱出大作戦」でやっているが、それまでまったく流行らなかった店なのに、店長が修行を経て変わると、行列のできる店に変身したりする。ちょっとそれはできすぎだろう、などと思ったりもする。

しかし、働いている人が変わることでお店も完璧に変わる。あれはいったい何なのだろう。厨房の中は覗くことができないけれども、その中で働いているコックのようすは、ウエイターの働きぶりの延長上で予測することができる。要は、その職場のやる気のようなものは、お互いに伝染しあって、ある一定の値で安定する。コックがやる気なら、ウエイターもやる気になる。逆も真。

昔、行ってみて悪くない店だからといって、現在もそうだとは限らない。ましてや、昔というのが5年も10年も前のことであれば、なおさらだ。だから店を選ぶには、最近行っていい印象のところにするのが間違いがないということだろう。

集中講義でお呼びしている先生2人と食事をした。テクニカルコミュニケーションの人と、言語表現の人。話がとぎれることがなかった。面白かった。

その人が言うには、ある研究を計画して、4億円の予算を申請した、と。

「4億円? いったいどうやったらそういう予算金額になるのか?」

「だって、遠隔教育をやるために人工衛星を打ち上げるのに、それくらいのお金はかかるでしょう」

これは私の話。ある会社から私の書いた文章を自然言語解析のためのコーパス(言語資料)として使いたいという話が来た。謝礼も期待せずにOKを出したら、その金額は10万円だった。ほくほくだよね、という話をした。

しかし、その人が言うには、「桁が間違っている。」

「まず1000万はふっかけてみるべきね。交渉次第で、100万円くらいになったとしてもラッキー」

つくづく自分が安い人間であることを実感した。