KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

授業にビデオが入ることによるホーソーン効果

言語表現の授業をビデオ撮りされた。

ある大学の人から依頼があって、言語表現に似た科目を開設したいので、それをどんなふうにやっているのかをビデオに撮りたいということだった。

FD関係の活動では、お互いの授業風景をビデオ撮りして、それを批評しあうということが行われていて、自分の授業を振り返って改善するのに成果を上げているということを聞くことがある。しかし、自分の授業を見せたり、ビデオ撮りしたりするのは初めてのことだ。いや、以前にTBSの取材がやってきて授業を取られたことがあった。でも、あれは番組取材だったので、趣旨が違う。

というわけで撮ってもらった。受講生にもそれは承知してもらう。「予告したように、今日はビデオを撮っておりますので、いつもより少し楽しそうに授業を受けて下さい」と言う。しかし、授業は淡々と進む、受講生は「いつもより少し楽しそう」というよりは、「いつもよりずいぶんまじめそう」という感じに見えた。授業の終わり頃になって、だんだんとにぎやかになっていつもの調子になったけれども。

そもそも私の授業は、「誰がやってもこういう授業になる」というような授業を目指している。だからビデオを撮りたいと言われたときも「私の授業はビデオ撮りしても、あまり面白くないと思いますよ」と言っておいた。まあ、面白がるために授業を撮っているわけではないだろうけど。

でも、授業をビデオ撮りされるという経験は悪くなかった。私もいつもよりちょっとやる気を出し、受講生もいつもよりちょっと熱気を帯びているのが感じられた。その結果、いつもよりちょっと良い授業になったような気がする。

古典的な「ホーソーン効果」である。どの心理学の教科書にも書いてあるホーソーン効果、これは正しい。