KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

私はロボットのように教えたい

春学期のすべての授業が終わった。あと採点がいくつか残っているけれども、ほっとした。でも、疲れたよ。授業をするのが商売なのだから、これに疲れてしまうというのはどうなのかね。

いや、授業をすること自体はおもしろいのだよ。実践の面からも、研究の面からもおもしろいし、チャレンジングでもある。毎回毎回新しい試みをしたくなる。わくわくする。始まる前まではね。

でも、授業の結果として、受講生1人1人に対処することが必要になる。受講生全員じゃなくて、その一部に個別対応する必要が出てくる。それがときどき苦痛に思えることがあるのも事実なのだ。おそらく彼らは私には縁のない人なのだ。だけど、仕事として、表面上、縁があるかのように振る舞わなければならない。それが苦痛だ。

つまるところ、私はロボットのように教えたい。だから独習用教材に自分の教えられることすべてが詰め込めるならば、それが最高の形だと思っている。生きた私はいなくても、その教材ですべてのことが学べるのだ。学びたい人はそこから多くのことを学ぶし、縁のない人は通り過ぎるだけだ。それがお互いに一番ハッピーなことだろう。

「いや教員はロボットではない。個別に対応することにこそ教員の存在意義があるのだ」。そう主張する人がいることは知っているし、世論の多くはこちらの考え方を支持するだろう。でも、今の私はそれに対して「傲慢だよね」としか言いようがない。