KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

教育メディア研究ののこしたもの

中野照海先生(ICU)の講演「教育メディア研究ののこしたもの:効果研究を中心に」を聞く。ずっと教育メディア研究をしてきた先生だけに、重みがあり、勉強になった。

Hobanのレビュー(1961):確実なのは「映画から人は学ぶ」。当たり前のようだが、以前は「映画を見ると不良になる」と信じられていた。そして「映画からの学び方は人々の条件によって違う」。エジソンは「映画の教育可能性」に期待していた(1925)。馬車が自動車に取って代わられたように、教科書は視聴覚教育に取って代わられるだろうと。

これからやるべきことは:

  1. 画像の働きの研究
  2. 利用方法の研究

しかし、映像の教育利用に関する研究は低落した。とりわけ情動性への効果の研究が困難、システムの一部としての位置づけ、社会の関心はコンピュータ利用や遠隔教育へ、といったことによって。

教育メディア研究の展開:

  1. メディア比較(映画:授業)
  2. 学習者要因
  3. ATI
  4. TTTI(特性・処遇・課題の交互作用)
  5. 授業過程の中での位置づけ

Schramm(1972):学習は配布される内容によっており、配布の仕組みにあるのではない。

メディアの概念:教育とは学習を援助するための一連の状況を作る営みだ。そして、その「一連の状況」を具体化するものがメディアである。たとえば「メディアとしての博物館」(梅棹)。

メッセージの品質ではなく、それによって生ずる行動(effect)で測る。たとえばセサミストリートの制作過程。

スキナーは1954年に、The science of learning and the art of teachingという本を書いている。学習は科学になるが、教えることは技芸(アート)だと。

大プロジェクト(CAI)への批判。送迎的教育メディア研究:新しいメディアが出てくるたびに新しい研究がなされる。たとえば、ラジオ、テレビ、プログラム学習、リテラシー、CAI、衛星放送、マルチメディア、インターネット、ケータイ・・・。これじゃだめ。知的挑戦が低下している、問題解決に直結したもの重視、論文数の追求、社会での有用性重視、これらによってダメになってきた。

(私のコメント)すばらしい講演でした。教育工学会でも招待講演してもらいたいです。もっと時間をかけて。それにしても、今回は45分。いかにも短かかった。というか、プログラム構成のミスだよ。質疑入れて1時間半が妥当なところ。話の最後は駆け足になったし、質疑もなし。講演者に失礼じゃないか? どうでもよい話ならいいけど、そうじゃなくて、これからの研究と学会の方向性を示唆するような内容だったんだから、なおさらだ。