KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』

精神の生態学

精神の生態学

大部な論文集。その守備範囲の広さがパノラマのようだ。その語り方もレパートリーが広い。私にとっては、科学論が興味を引き、

D でもニュートンは重力を発見したんでしょう? リンゴが落ちるのを見て。

F そうじゃない。重力を発明したんだ。作ったのさ。

……

D 「説明原理」は「仮説」とは違うものなの?

F そんなには違わない。ただ、仮説というのは一つひとつの出来事を説明するためのものだが、"本能"とか"重力"とかいう説明原理は、ほんとのところは何も説明しないんだ。ある点から先はもう説明するのはやめましょう、という科学者同士の取り決めというかな、それが説明原理だよ。

そして、コミュニケーションについての論考。

D だってパパが、「会話は全部、怒っていないことを伝えるだけだ」って言うから、だから、あたし──

F いや、全部の会話がそうだというわけじゃない。話している二人が、相手の言うことをよく聞こうという構えでいれば、いろいろ細かな情報を伝えることもできるわけだよ。話すことが、ただ仲良くする以上のことになる。いや、情報を交換する以上のことだってできるかもしれない。二人とも知らなかったことがわかるとかね。

しかし、何といっても、「学習ゼロ(決まった反応)、学習I(反応の学習)、学習 II(反応のコンテクストの学習)、学習 III(コンテクストのコンテクストの学習)」の概念を自分のものにしたい(論文「学習とコミュニケーションの階型論」)。これは、学習におけるコンテクストを、メタメッセージとしてきちんと位置づけたもので、これを使えば、いろいろな教授学習場面がうまく説明できると感じている。