KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

日記を書くヒマがあるなら・・

 秘密に日記を書いている人はともかく、身内や友人に日記を書いていることを知られている人には、このコトバほど心をかき乱すものはないだろう。たとえば、日記書きには、

  • あなた、日記を書くヒマがあるなら、子供をどこかに連れていって下さいな
  • きみぃ、日記を書くヒマがあるなら、論文の一本も書きたまえ
  • いいじゃん、日記を書くヒマがあるなら、ドライブに一緒に行こうよ

 というようなコトバがいつかかけられる運命にある。そして日記を書こうという気持ちをみごとに萎えさせる。

 大きなお世話である。

 日記書きにとって、日記を書くということは、子供をどこかに連れていくことや、論文を書くこと、ドライブに行くことと、まったく別の次元で、まったく同じ重要性を持っているのだ。日記を書くことを犠牲にしなければ、何か別のことを成し遂げることができないなら、そんなことははじめからしない人生を選ぶ。

  • そうやって意地を張っていればいいわ。あなたなんて日記を書いて、書き続けて、そうして一生を終えてしまうのよ。

 こんなひどいことを言う人もいるだろう(あくまでありそうな架空の例である)。しかも身近にである。身近な人ほど残酷なことを平気で言えるようになるらしい。そんな人にはこう答えよう。

  • ああ、そういう君は日記も書かずに一生を終えてしまうのだね。なんてかわいそうな人なんだろう。

 もちろん本当にこう言ってしまっては、明白な破局が待っているので、心の中でそっと思うだけである。そして睡眠時間を少し削って、ひっそりと日記を書くのである。

 日記を書くということは、何かを信じるということとあまり違いがない。