KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

正しいタイトルの付け方

心理学の論文は「○○における○○の○○に及ぼす影響」という形式がよくあり、これを読んだだけで実験計画が思い浮かぶという意味では最善のタイトルだ。しかし、面白みはない。私が好きなのは「学生はなぜ質問をしないのか?」というようなタイトル。読んでみたいと思わせる論文タイトルだ。具体的なのだ。

  • 「ちはるの多次元尺度構成法」(98.10.28)

 まあくんの「毎日の記録」(99/01/11)は、正しいタイトルの付け方について言及している。はたしてどんなタイトルが良いタイトルになりうるのか、心理学的にも面白い課題だ。

 上に引用したように、論文のタイトルには(どんな学問領域にも)これなら間違いはないというような形式があると思う。しかし、それにしたがってばかりいるとあまり面白いタイトルはできない。論文の内容が面白いものであればあるほど、それに対応して魅力的なタイトルをつけたくなるのが人情だろう。だから、まあくんの言うように、タイトルだけで得をしてよく引用される論文があるのは事実かもしれないが、それはおそらく内容も魅力的なのではないだろうか。ちなみに「学生はなぜ質問をしないのか?」という論文は『教育心理学研究』という権威ある論文誌に載っている論文のタイトルである。

 論文という堅い話でなくとも、新作日記リストの一行コメントを見れば、タイトルの付け方の勉強になる。タイトルだけがキャッチーで、内容がそれに対応していなければ、読者は書き手に対する信頼を失って、それ以降はどんなに魅力的なタイトルがついていてもだまされまいとするだろう。それは学問の世界でも同様に働く原理だと思う。まあ、学問の世界では内容がともなわないものは公にされる前に拒否されてしまうわけだけど。

 ただし一行コメントでは学問の世界では使われないテクニックがある。「さようなら」とか「嫌いだ」とか「好き好き大好き」などの、本文を読ませるためにわざと本文の内容に触れないタイトルだ(週刊誌などの見出しでは常套手段だ)。こうしたタイトルは感情価の高いフレーズを使うのが特徴的だ。感情価の高い単語には自然に読み手が反応してしまうからだ。だが、慣れとともに効果は薄れる。たとえば(あくまで例だが)「うんこ」という日記タイトルは、最初は強いインパクトがあるが、何度も接触しているうちに日記のひとつの識別名に過ぎなくなる。だから長期的に見ると、感情価が高く、内容に触れないタイトルが特に有利であるということはなくなる。このテクニックが有効なのは、百回に一回だけ禁欲的に使うときだけだ。

 タイトルには三つの役割がある。一つは、何が書いてあるのかを知らせる役割。これは説明の必要はない。本文の「要約」の「要約」がタイトル(の素材)になるということだ。もう一つは読者を読む気にさせる役割である。ここから工夫の余地がある。内容の制約を受けながらいかに魅力的なタイトルを付けるかだ。最後は、書き手の立場やメッセージ性を表明するもの。たとえば「正しいタイトルの付け方」は客観的な立場を表明しているが、これを「正しいタイトルを付けよう」とか「あなたは正しいタイトルをつけているか?」と変形すると表明された書き手の立場が変わってくる。面白いところである。