KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

相田みつをのせいじゃない

 昨日の夜、暑くて寝苦しくて、眠れないので、ふとつけたテレビで渥美清の番組をやっていた(NHK)。肝臓ガンで、自分の死期を知りながら、がまんをしながら最後の映画を撮る。それはひどくつらい。だけど何かにとりつかれたように、演技をする。僕は、寅さん映画を一度も見たことがない。このドキュメンタリーを見て、ますます見ることができなくなった。

 シュウさんも、あやたさんも、相田みつをが嫌いだということを読んだ。僕の家のトイレにも相田みつをは飾られていない。彼の文集やカレンダーを買おうという気もない。でも、きょうふとつけたテレビで(NHK教育)こんなような詩というか彼のフレーズが紹介されていた(不正確かも):

 「世話してあげたのに のにがつくと愚痴がでる」

 うん。なかなかいいフレーズじゃないか。これだけなら、僕は相田みつをが好きだなあ。でも、これが癖のあるぶっとい字で書いてあって、毎日トイレにはいると目の前にぶらさがっているのが目に入るとしたら嫌だなあ。人間は目に入ってくる文字を自動的に読んでしまうんだ。「世話してあげたのに のにがつくと愚痴がでる」これをひと月くらい、トイレにはいるたび、毎日読んでしまうとしたら、嫌だ。嫌だというよりは、相田みつをがかわいそうだ。どんなにいいフレーズも、毎日暗唱してしまったら、意味が解体されてしまう。

 すばらしいフレーズというのは、一度読んだだけでわかり、読んだ瞬間にわかってしまうものだ。毎日唱える必要はないのだ。

 相田みつをのせいじゃない。警句を集め、それをトイレに飾るという行為こそが、鈍いのだと言いたい。警句集は、生き方に迷ったときにこっそり開くカンニングペーパーだ。それを堂々とトイレに張り出すという行為がすでに、人生を甘くみとる証拠だ、と言われても仕方あるまい。