KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

研究費獲得の大競争時代へ

 科研費の申請書を書かなくてはならない。文章を書くのは自分の仕事の大きな部分だと思っているが、こういう申請書は苦手だ。というのは、「何をどこまで明らかにして、どういう結果と成果が得られるか」をはっきり書かなくてはいけないからだ。もちろんそういう見通しがなければあなたの研究には予算はつけられないよ、ということなのだろうが、いかにも窮屈だ。とりわけ仮説検証ではなくて、仮説発見型の研究をしている場合はどういう成果が得られるかを明確に書くことはできない。かといって大ボラを吹くことはしたくない。

 10/17の日記で国立大学の独立行政法人化について書いたが、独法化によって生ずる重大な変化をひとつ書き忘れた。それは、いままで実験系、非実験系のそれぞれに決まった額の研究費を割り当ててきたのが、一律に非実験系の額にそろえられるということだ。非実験系の研究費は実験系の3分の1程度である。たとえば私は年額100万円程度の研究費を割り当てられているが、これが30万円程度に減額されるということだ。これでは、パソコン1台買うのがやっとになってしまう。

 こりゃいかん、独法化に反対しなければと思うまもなく、次のことを知った。富山大学では、もう来年度から研究費の割り当てを非実験系の額にそろえるという。それによって浮いた分は、学長裁量経費として再分配するとのことだ。つまり、研究費申請をして選ばれたものに予算をつけるという形になるのだろう。実にこういうことに関しては反応が速いというべきか。つまり、独法化された場合の予行演習というか、先取りをしているわけだ。スバラシイ。

 もう来年度から研究費獲得の競争時代にはいることになる。確実なことは、予算獲得のための文書作成により多くの労力が注がれることになるだろう。願わくは、公平で実のある審査が行われることを。そして、研究成果のフォローアップ調査をしっかりやってほしい。予定された成果が上げられたかどうか、無駄遣いはなかったどうか、きちんと評価して欲しい。そうでないと、予算ぶんどり合戦の大学版が行われることになりそうだから。

 そしてもう一つ。予算が付かなかった人に対しても、研究業績をあげたケースはなんらかのインセンティブをつけるべきだろうし、また教育業績をあげたケース(良い授業をした者)も同様に評価するべきだ。つまるところ、どれだけの「評価システム」を作り上げるかにかかっている。