KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「人からクレームの来ない人生なんてあり得ません」

 研究室の本棚で、ある本を探していたら、いま話題の高橋弘二(元ライフスペース代表)の本を見つけた。『生きるのがラクになる本』(PHP, 1989)。見返しを開いてみると、1991年5月の日付が書いてある。そのころに読んだらしい。ところどころにオレンジ色のラインマーカーが引かれている。

 今、この本をぱらぱらと読み返してみると、この本の内容自体は悪いものではない。むしろ人間性心理学(Humanistic psychology)の考え方を易しい言葉で説いているという感じだ。ページ数の半分以上を占める前半では「もうひとつ別の見方ができる」ことを語り、後半では瞑想法について解説している。

 こんな一節が目についた:

 人からクレーム(苦情)のこない人生なんて、あり得ません。
 クレームを上手に処理できる人が、リーダーになる人です。一番大きなクレームを処理できる人が、トップです。
 文句言いに来たのに、帰るときは友だちになってた、なんて良いですね。
 楽しみながら、処理していくんです。(p.106)

 彼は今、楽しみながら処理しているんだろうか。社会と友だちになれるんだろうか。ミイラ事件の背景に借金があったということも伝えられているが、人間性心理学の考え方や方法論が、マインド・コントロールやカルトへ変容するとしたら、どこにその分岐点があるのだろうかということを考えている。

 最初に探そうとしていた本は、『メディア・セックス』と『メディア・レイプ』のウィルソン・ブライアン・キイの本だった。心理学の授業で「サブリミナル効果は本当にあるのかどうか」という質問が出ていたので、その材料として。

 『メディア・レイプ』の中にこんな一節を見つける:

ただイエスとノー、真と偽、あるいは正と誤という答えしかないような問いは、人間の知性とは無縁な言語を構成する。それらは単純素朴な人々に対して仕掛けられた罠なのだ。言語的に構成されたジレンマはほんとうのジレンマではない。たんなる操作にすぎず、通常それにコミットするものがすべて敗北するようにできている。ジレンマを作り出したものが勝つのだ。彼らがコントロールする広告とメディアの内容には、こうした偽のジレンマがぎっしり詰め込まれている。

(中略)

排中律的対立という言語的構成の外側にいるようにしたまえ。二分法のなかに引き込まれたとたん、人はコントロールを失ってしまう〓〓もっとも、そもそもなんらかのコントロールをもっていたらの話だが。競争相手を混乱させるには、積極的な否定よりむしろ受動的な否定の方が効果的である。成り行きを見守ってみよう! 観察してみよう! 考えてみよう! 比較してみよう! 評価してみよう! 他の選択肢や見方も試してみよう! そしてなによりもリラックスしよう。行動が明らかにあなたの利益になると分かっているときにのみ行動しよう。もっとも重要で、つねに実行可能な選択肢を考慮しよう〓〓すなわち、何もしないでいよう。(p.331-2)

 キイのアドバイスは今でも有効だ。あるいはメディアに接触する比率が飛躍的に大きくなっている今こそ、そして将来にわたって有効だというべきか。