1日目のガーゲン(Gergen)さんの講演「ポストモダンの流れの中の心理学」を聞く。ポストモダンについての本を読むよりも、わかりやすく整理されていた。講演はこうあって欲しいという見本。勉強になる。
要点としては…
伝統的心理学では
- 知識は個人の中にある
- 客観的世界というものがある
- 言語は知識を共有化するための道具である
と考えてきたけれども、社会構成主義では、
- 知識は共同的なものである
- 社会は構成されている
- 言語は共同的な実践としてのものである
と考える。言い換えると、言語の意味はそのコミュニティの言語ゲームへの参加から得られるものである。客観的な真実などというものはなくて、そのコミュニティに特有の知るという実践形式が異なっているのだ。
そうした見方の転換の中で、心理学がポストモダン心理学として生き残るためには、
- 真実から有用性へ転換する
- 理論を、役に立つかどうかによって検討する
- 知見を、価値をもたらすかどうかによって検討する
ことが必要になってくるだろう。
ポストモダン心理学から、これまでの伝統的心理学を見直してみると、
- 認知とは、共有された了解である
- 感情とは、文化的なシナリオである
- 態度とは、会話における立場である
というように「関係第一主義」の立場から書き換えることができる。
方法とは世界の構成のことである。つまり、ロールシャッハテストは無意識世界を構成しようとし、実験計画法は因果関係を構成しようとし、談話分析は共同的な意味を構成しようとする。どの方法が優れているということではなくて、それぞれに世界の構成の仕方が違うのである。
ポストモダン心理学における記述の方法は、多声的(polyvocal)なものになるだろう。つまり、本人からの観察、研究者からの観察、様々な統計データ、ビデオテープ、ある種のパフォーマンスというようなものの組み合わせになる。
私は次のような質問をした。
伝統的な心理学が実験や客観的データを重視してきたのは、その目的の一つに予測と制御ということがあったからだと思う。ポストモダンな見方ではそれはもはや中心的な目的ではないように思われる。それはカオス的な世界観を導くのではないか。
Gergenさんの回答。
これまで行われてきた予測と制御というようなことをはじめから捨て去るわけではない。ただ、ポストモダンな世界では、もはや「中立的な」予測と制御というものはあり得ない。そこには政治性(politicality)がはいってこざるをえないのだ。