KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

学校を自由度の高いシステムに

 少し前から、学校について考えているわけだ。とりわけ初等教育。ひとつ確実に言えるのはシステムとしての学校を変えていかないとどうしようもないんじゃないかということ。

 40人学級に先生が一人、という一昔前の工業生産的なシステムはもう現状に合わなくなってきている。工業の方はすでに一歩先を進んでいるわけで、注文生産方式によって、消費者の一人一人の好みに合わせた製品を作り出すことができるようになっている。子供一人一人の分散(個人差)は、どんどん大きくなっているのだから、それに合わせたシステムが必要なのだ。

 学級の人数は40人からもっと減らしてもいいというように変わってきてはいるが(そしてそれはかなり有効だと思うが)、そもそも学級という単位をもっと自由に作り替えた方がいい。能力別のクラスや、学年を混在させたクラスを必要に応じて作っていくような柔軟性が必要なのではないか。

 とにかく学校の中を息苦しくしないことだ。同じクラス、同じ仲間、同じ階層関係(いじめ-いじめられ関係)、同じ担任、という環境は、うまくいけば安心できる環境であるが、うまくいかない場合は「生き地獄」になる。学校の中が、安心できる場からそうでない場に変化してきている。子どもたちは学校内の人間関係に神経をすり減らす。

 ホームスクーリングは一種の「教育の先祖帰り」現象だ。学校が安心して子供を預けられる場所から、そうでないものに変化した結果として出てきた個人の対処策なのだと思う。

 問題は子供や家族や社会が変わったことにあるのではなく、それに合わせて学校が変われなかったことにあるのだろう。有効な対策は、一人一人の先生をどうするということではなくて、学校の運営システムを変えて、それを自由度の高いものにしていくことが一番効果的なのではないかと考えている。これは口で言うのは簡単だが、実行は難しい。自由度の小さいシステムが一番運営が楽で、自由度の大きいシステムは、高い運営能力が必要とされるからだ。