KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

原稿が書けないいいわけ

 ふううう。6月も半分を切ったか。「私には時間がない」と書いたように、なぜだか、自由に使える時間がない。つまり、授業と授業の準備だけで一週間が終わってしまう、そんな感じがずっと続いている。前期は、授業が8コマ(内非常勤2コマ)あった。一時的には10コマの時期もある。これが、後期には4コマと半減するので、前期に授業が集まりすぎたきらいがある。

 授業とその準備で自転車操業しているところへ、講演会や公開講座の講師の仕事が回ってくる。もちろん、教授会や専門委員会もある。時間がないわけだ。教授会は、出欠が記録されるようになって、なるべく出るようにしている。しかし、3時間超というのはどう考えても長すぎる。聞けば、もっと長い学部もあるそうだ。そんなに長い時間会議をやっても注意力は続かないだろう。しかし、教授会のときには意外にも読書できることを発見した。あまり愚痴を言ってもしょうがないので、おとなしく本を読む。

 時間がないということは、つまり授業以外の研究の時間がないということだ。また、原稿を書く時間も足りなくなる。データはたまっているのに、それを分析して文章に書き起こすということがなかなかできない。それでなんとなくイライラする。充実感がないという感じ。もちろん満足のいく授業ができれば、充実感が得られるし、うれしくもあるのだが、それはうまくいってなんぼ、の世界だ。うまくいかなければ、悩む。それは研究のように、何か未知のことを明らかにするというのとは性格が違う。

 さらには、5月末までに、と約束していた原稿を一文字たりとも書いていないということがある。やはり、授業が進行している学期の中で、本の原稿を書いていくというのは無謀だったか。夏休みでなければ、腰を落ち着けて、時間をとって書くことはできないようだ。

 と、こんな日記を書いて、原稿ができていないことのいいわけをしている。