大学校舎のバリアフリー化ということで、エレベータを設置する工事がしばらく続いている。工事そのものは問題ないのだけれど、問題はエレベータ設置場所に隣接するトイレがまったく使用不能になっていることだ。私の仕事場は4階にあるので、大・小するたびに階段を降りて、1階の仮設トイレまで足を運ばなくてはならない。
「運動になるからいいだろう」などと気軽に言われるが、そんなもんではない。
10年もの長い間通い慣れたトイレというのは、本当に愛着のあるリラックスできる場所であったなあと思う。最も重要なことは、毎日仕事場についてコーヒーを飲むと、その時間には必ず催して、規則正しい排泄習慣が形成されたことである。そのために排泄に関するトラブルはまったくない。時折、長期の出張に出かけるとこの習慣が狂うのであるが、それだけにこの通い慣れたトイレというもののありがたみがわかるのである。
そのトイレが工事中で使えない現在、私の排泄習慣はずたずたである。単なるトイレの工事がこのように深刻な問題を引き起こすのだということを理解していただきたい。
日記を書くことを、排泄することにたとえたのは実にスバラシイメタファーである。
私の知人は「排泄するときには力んではいけない。力まずに、そのまますうっと出すようにするのが最も良いやり方である」ということを説いている。これはそのまま日記を書くときにもあてはまるのではないか、と思ったりする。