KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

グラフの読み取り問題が多い/監督の私語

センター試験の監督中は、問題が起こらない限り、特にやることはない。それで、暇つぶしに試験問題を眺めていたりする。

理科と公民の問題を見ていて気がついたことがある。それはグラフの読み取り問題が多いということだ。しかも、それは物理や生物や公民といった教科に固有の知識がなくても、グラフの読み方や、論理的な解決能力があれば、それだけて解けてしまう問題のように思えた。つまり、andやor、必要条件や十分条件といった論理的な考え方ができていれば、解けてしまう。

これはどういう傾向なのだろうか。知識を覚えることよりも、考え方を重視するという教育方針の転換によって、このような問題が多く出される傾向にあるのだろうか。それは悪いことではないかもしれない。しかし、問題の外見を剥いでいくと、結局は論理的な操作が根底にあって、それだけで解けてしまうわけだ。そうすると、問題の外見を剥いでいくという技能が重視されるということになる。問題の中心部分をつかむことになるから、それでもいいということか。

センター試験で受験生の方から「監督の私語がうるさい」という苦情があったそうだ。普段、授業中の学生の私語がひどいと、文句をたれている大学教員だが、そんなこと言える立場じゃない。しかも、試験監督は業務として行っているわけだから、弁明の余地はない。

私でさえ、「まるでロボットになったみたいだなあ」と思いながらも、マニュアルに指示されたとおりの教示を読んでいる。こんなところで個性を発揮しなくてもいい。これは画一的にやることにこそ、意味があるのだ。