KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

少しの心残り

掲示板に、はせぴぃ先生が書いてくださったように、10年くらいで職場を変えるというのは、新しい刺激をもたらすためには効果的なのだろうと思う。それ以下では、腰を落ち着けて仕事することができずに、組織に対してあまり貢献もできないままに移ってしまうということがあるし、逆に、あまり長居をしてもマンネリにおちいる危険がある。

それにしても、新しい環境に移るというのは、それだけで何かわくわくさせるようなものがある。それは単なる新奇性効果の一種なのだけれども、変化があるというのはそれだけで魅力になるのだ。そして、それ以外のさまざまな理由は、あとづけの理屈にすぎないのだ。ただ移るということを正当化し、認知的不協和を軽減するための働きにすぎない。

それでも富山大学には少し心残りなことがある。もちろん、そんなことを言っても、私が実際にいなくなっても、元通りかかえってそれ以上にうまくいってしまうことは、組織の法則で明らかなのだけれども。

ひとつは、言語表現科目のことだ。他の国立大学に先駆けて、教養科目で「大学生のための日本語」を訓練するということを実践してきた。もう10年になる。それは着実な成果を上げてきたと思う。科目を担当するボランティアの教員の組織化も徐々にできてきたところだ。しかし、この科目を名実ともに全学必修にする(つまりアメリカの大学の「フレッシュマン・コンポジション」という位置づけにする)という課題はまだ果たされていない。それどころから、折からの大学再編・統合という大きな波の中に飲み込まれてしまうのではないかという危惧さえある。

他にもいくつか心残りがあるけれども、言語表現のことは大きい。つい最近、言語表現科目を創設した教員のひとりが他の大学に移ってしまったということもある。しかし、気にしていてどうにかなるということでもない。あとはお任せすることだ。言語表現科目を様々な大学でどのように実践していくかという、もう一段大きな課題ができたと考えるのがいいのかもしれない。