KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ザイク『ミルトン・エリクソンの心理療法』

ミルトン・エリクソンの心理療法―出会いの三日間

ミルトン・エリクソンの心理療法―出会いの三日間

エリクソン流の考え方では、催眠と教育と心理療法の間に、明確な境界が引かれるべきではないとされる。というのは、いずれの領域においても無意識的な学習に信頼が寄せられているからである。根底にある哲学は、人は変化を起こすために必要な資質を既に備え持っているというものである。したがって、心理療法も催眠も---そしてかなりの部分が教育さえも---資質を引き出して発展させ、個人がより有効な新しいやり方で、さまざまな資質を繋げてゆけるようにする行為なのである。

ああ、そうなんだ。だから教育を自分の研究領域と考えている私が、畑違いとも思える心理療法についてよく知りたいと動機づけられているんだ。アドラーも、教育を心理学が解決すべき重要な領域と考えていたし、ミルトン・エリクソンもそう。

この本は魔術師のように患者を治していくエリクソンの様子を描写する。それは、催眠を使っているようでもあり、ごく常識的な助言をしているようでもあり、首をひねらせるような「一歩ずらした」小話で一撃を食らわせるようなものでもあり、なんともまとめがたい。

それは、エリクソンが、患者を理論に当てはめるのではなく、目の前にいる患者に個別に全力を注ぐということをしていたからだろう。

今なお多くの心理療法家は、単に理解し、記述し、理論化することだけで満足し、変化を促すことは、しばしば二の次にされている。理論をつくったり実験を行うことの方が「レベルが高い」と見なされているのである。少なくとも患者に影響を与えるということに関する限り、臨床家は、人はみんな自分のやり方で考え、感じ、そして行動するという事実を考えずに、普遍的に当てはめることのできる型どおりのやり方をつくりだすことで満足していた。

エリクソン流のやり方の特徴はそのコミュニケーションである。

コミュニケーションについて研究すると、もっとも重要なのは、メッセージの持つ効果であって、メッセージの技術や意味内容について熟知することではないということがわかるだろう。結果が構造より大切なのである。

ベイトソンはコミュニケーションには、伝達(report)と指令(command)が含まれていると言っているが、その指令的側面をエリクソンは最大限に利用している。それが治療的だからだ。

エリクソンの助言に何か神秘的な奥義が潜んでいたとはとうてい思えない。逆に彼は、一貫してあきらかなものを利用し続けたということこそが意義深いのである。不幸なことに多くの治療者は、力動的な理論に熱中するあまりおうおうにしてあきらかなものを見逃してしまう。エリクソンは、あきらかなものを見つけてそれを患者に返すので、患者は、自分のやり方でそれに応じることができるのである。

「問題の外側で礼儀正しく踊るようなやり方のかわりに、どうしてこういうやり方で治療がされないのでしょう?」