KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

すべての「○○嫌い」は教育によって作られる

 うろおぼえになってしまったが、国際学力比較調査なるものが行われて、日本の生徒は数学に関して、成績は悪くない、むしろいい方なのに、「数学が嫌い」という割合が他の国に比較してとびぬけて高かったということがあった。……おっとこういうときのために検索エンジンがあるのだった。そう、国立教育研究所のサイトのこれだ:

『国立教育研究所紀要』 第127集(平成9年3月)「中学校の数学教育・理科教育の比較-第3回国際数学・理科教育調査報告書-」 

(前略)参加46か国間における諸要因の違いを利用して組織的に研究するものです。調査は、1994年度の学年末に行われ、全体で約6,000校、中学校1年生約140,000名、2年生150,000名が調査を受けました。

わが国の結果は、数学問題については、シンガポールに次いで、韓国とともに2番目のグループに属しています。しかしながら、生徒質問紙からは、わが国の生徒は数学理科も好いていないことが分かりました。(後略)

 成績が悪いのでその教科が嫌い、というのなら不思議には思わない。でも、成績は悪くないのにそれが嫌いだというのだ。これはいったいどういうことか。簡単だ。すべての「○○嫌い」という現象は教育によって作られる、ということだ。

 たとえば、食べ物の好き嫌いのほとんどない私が、大きめのニンジンのバターソテーが嫌いなのは、小学校時代にちょっと気に入らなくてそれを食べるのを躊躇していたら、担任の教師がめざとくそれを見つけて、無理矢理それを私に食べさせたためだ。あのときに、教師が見過ごしておいてくれたなら、次の機会にはニンジンのバターソテーが好きになっていたかもしれない。少なくともこれほど嫌いにはなっていなかっただろう。このことから、「意識して見過ごすこと」は教員のもっとも重要なスキルのひとつだと確信している。

 大学に入ってから初めて習う「心理学」という科目は、それを嫌いだという学生はほとんどいないし、むしろみんな楽しみにして受講する。心理学自体が面白い学問であるということも考えられるが、むしろ、高校までにそれが教えられていないという事実の方が要因として大きいのではないかと思う。つまり教えられていなかったので、「心理学嫌い」は生産されなかったのである。ただし、受講してから「心理学って面白くない」と思う学生は少なからずいるかもしれない。

 心理学を高校・中学に導入しようとして努力している人もいるし、そうした本も出されている(守一雄の「チビクロこころ」(北大路書房)や、市川伸一の「心理学から学習をみなおす」(岩波高校生セミナー)など)。また、ストレスマネジメント教育も心理学の初等中等教育への導入と見ることができるだろう。こういった、「面白いし役に立つ」学問の導入は賛成。しかし、やり方を間違えれば、公務員試験の心理学領域の問題のような無味乾燥でいかにも心理学嫌いを作りそうなやり方もあり得ることに注意が必要だろう。

 すべての学問には入門段階があると思うのだが、そこで「○○嫌い」を大量生産しないような工夫が必要だ。そこを切り抜ければ、あとはうまく行くような気がするのだが。