KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

自由テーマだとレベルが落ちる……日記も?

 「言語表現」という教養科目を受け持っている。そこでは、毎週1000字程度の文章を課題として書いてもらっている。課題にはテーマをこちらから指定する場合と、自由テーマで書く場合がある。テーマをこちらから指定する場合は、たとえば「就職氷河期」について材料を探して書いてもらったり、学級崩壊についてのNHKの番組を15分程度見てもらってから「学級崩壊」について書いてもらったりする。

 そんなふうにして毎週20数人の受講生から提出されてくる文章を読んでいて、面白いことに気がついた。それは、こちらからテーマを指定するときは、クラス全体として割と作文の質が安定しているのに対して、自由テーマの場合は、人によってレベルの低い作文がけっこう出てくるということだ。「レベルが低い」とはひどい言われようだが、要は「だから何なの?」という感想を読後に持ってしまうような文章のこと。「序論、本論、結論」の構成は守っているし、段落の展開の仕方もけっして悪くないんだけれども、「だから何?」と言わせてしまうような文章。そういう文章が自由テーマの時に限って、ちらほらと出てくる。

 自由テーマの作文では、易しすぎるテーマを選んでしまう人がいる。たとえば、大学生になって自炊を始めたが、それについて書いたもの。自炊は初めてだが、やってみると面白い。でもときどきはコンビニの弁当を買う。コンビニ弁当についてひとくさり。自炊する料理で得意なものをひとくさり。結論:面倒に思うこともあるが、やはり自炊は大切だ。……「だから何なの?」

 自由テーマの作文においては、易しすぎるテーマを選んではいけない。そうではなくて、ちょっと背伸びするくらいのテーマが必要なのだ。それは何も、人生論を語れとか、哲学的思索をせよ、といっているのではない。何と言ったらいいのだろうか、普段のおしゃべりのレベルからもう少し深く掘り下げたもの、そういうテーマを持ってくるのがポイントなのだ。それはたとえて言えば、マラソンで1キロコースと10キロコースのどちらかを選んで走りなさいと言われる状況に似ている。1キロコースを選んだ走者は、苦しくなる前にゴールが来てしまう。それでは自分を鍛えることにはならない。達成感もない。

 ああ、そうか。日記がダメなのはそのせいだったか。その日の出来事を記すだけなら、そう苦労はいらない。それは易しすぎる課題だ。だから日記では表現力が伸びないのだ。少なくとも、普通の日記を、自分の気に入ったスタイルで書いている限り、それは易しい課題だ。もちろん、そういう日記であっても毎日書き続けるには並々ならぬ努力が必要だということをよくわかった上で。易しい課題であれば、続けること以外にその課題をやることの意味は見いだせないだろう。

 一方、一部の人は、日記を書くときに自発的に背伸びをする。書いているんだけど、なんだかうまく書けないと、もがいているような人。これはやはり精神的に苦しいから、ある時点で日記を書くこと自体を止めてしまったりすることが多い。でも、日記を止めてしまったら、背伸びをすることも苦しむこともなくなる。日記書きに苦しむことのない、安寧な日々に戻るだけの話だ。

 結局、「易しすぎるのでもなく、難しすぎるのでもなく、自分がほんの少し努力しなければできないような課題を設定できるかどうかが、そのことを楽しめるかどうかの分岐点になる」という原理は、日記書きにおいても有効に働いている。