KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

【研究】論文にまとめてそれをなんとか通すスキルのある人とそうでない人がいる

2024年5月11日(土)

月に一回のにぎやかな日。10時半から3時間のアドラーゼミ、15時から1時間のeスクールゼミZoomミーティング、そして16時から2時間超の博士ゼミと続く。

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第2回のアドラーゼミでは第1回に続き、教室が満杯になった。でもこれより広い教室に変更するとゼミの雰囲気が失われるし、ちょっと狭いけれどもこのままでいこう。

机の配置は教室の雰囲気を決める。一般的な列による配置はいかにも学校という感じになる。4人座りのアイランド型にすれば、グループで進めるのだなという感じになる。アドラーゼミでは「ロ」型の机の配置であり、これは「みんなで話そう」という感じになる。この雰囲気が大切なのだ。


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博士ゼミでは在籍学生は4人しかいないのだけど、卒業生が続々と集まってきて、教室6人、Zoom5人の参加でにぎやかになった。

4月に5人分の博論中間報告会を開いて、全員「博論を書いてよし」という判断になった。しかし、10月までに少なくとも2本の査読論文が採録されなければ、最終審査は延期になる(そしてそのとき私はいない)。博論本体を書いていくのと、査読論文をなんとか通すという二重のタスクをこれから半年間やっていかなくてはならない。正念場だ。

研究としてちょっとQuestionableでも、うまく査読を通すというケースと、研究としてAuthenticなのに、査読がうまく通らないねというケースが対比される。要するに、うまく論文にまとめてそれをなんとか通すスキルのある人とそうでない人がいるという話だが、それはその人がやっている研究の価値とはあまり関係がない。逆に、研究に対して誠実に向き合えば向き合うほど、論文を通すのが遅くなるという現象は普通に見られる。

(そしてそこを手助けするのが指導教員のほぼ唯一の仕事なのだが)

とはいえ。

ここは論文を通すことに全力を注ぐべきときだ。このチャンスを逃せばおそらく一生博士号は取れないだろう。